エッセイ

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ブログ表題「そわという名のいる」について

昨日、このブログに久しぶりの投稿をしましたが、このブログへの投稿を積極的にしてゆくに当たって、「そわという名のいる」という表題について、少しだけ記しておこうとお思います。「そわという名のいる」ていったいなになのだろう?と思われるかもしれませ...
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大多数からもこぼれる人たち。

最近、二ヶ月とか、三ヶ月に一回の割合で世論調査の電話がかかってくる。私は即切ることにしている。面倒だからではない。乱暴なやり方に加担したくないからだ。100人いれば、100の違う答えがある。それを3つや、せいぜい5つほどの項目に分類する乱暴...
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片桐夕子の記憶。

正月3日の夕方から、4日にかけて雪が降った。昨年の正月ほどの大雪にはならず、今は田んぼや道の脇、家の軒下に雪が残っている程度だ。工房のある村の背後にある、この雪を被った山の景色が好きだ。二十代に見た神代辰巳の「濡れた欲情・特出し21人」のワ...
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霊性について

私は、つい最近まで、霊的なもの、精神というものを人間の中にあると確信していた。それは、私の中にもあると。しかし、この「そわという名のいる」を書き始め、年が明け、より私のありようを見つめなおそうとしている今、霊的なもの、精神のようなものは、私...
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2013.01.02. 創作へ

私が創作を初めた二十歳代からずっと変わらず拠り所としている作家がいる。「水の青が、岩場の多い山に植えられた木の暗い緑の中で、そこだけ生きて動いている証のように秋幸には思えた。明るく青い水が自分の開いた二つの目から血管に流れ込み、自分の体が明...
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2013.01.01.

たどたどしく書くこと。肉体の深みから。未分化なまま。2013年、書くことへの箇条。
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2013年、新たなステージが始まろうとしている。

デラシネ、スペイン内乱期へのロマンチックなあこがれを含んだこの言葉の響き、しかしいまそれは現実の重みを伴って響く。そして、アナキズム、これもかつて革命の血の騒ぎの中で胸を締め付けた言葉だが、それも今、日常の中に息吹いている。何モノにも依るこ...
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それは決して悲観する状況ではない。

それは決して悲観する状況ではない。小党分立と、低投票率の結果、自民党政権を復活させてしまったが、結果はともあれ、投票率の低さという事自体は決して悲観する現象ではないと私は思う。関心が低かったわけではない。なのに投票しない人が多かったというこ...
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松本竣介という画家

先日、NHKの日曜美術館で「松本竣介」をやっていた。これは今年の夏に一度かかっていて、非常に惹かれたやつだ。松本竣介という画家をその時まで全く知らなかったから、これはを見たときとても気持ちが高鳴ったのを覚えている。その再放送をたまたま目にし...
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本年最終の手作り市出店を終えて思うこと。

昨日、本年最終出店になる「上賀茂手づくり市」に行ってきた。今年の春から、毎月の定期的な手づくり市に出店するようになった。今までは、年2回の信楽の陶器市。それと地元の今津、マキノ、準地元の敦賀での手作り市には出してきたけど、毎月定期的に続ける...