先日、NHKの日曜美術館で「松本竣介」をやっていた。これは今年の夏に一度かかっていて、非常に惹かれたやつだ。松本竣介という画家をその時まで全く知らなかったから、これはを見たときとても気持ちが高鳴ったのを覚えている。その再放送をたまたま目にして再びじっくり見た。
建築のフォルム、黒い窓の描写、その位置、黒い端的で力のある線。俊介をよく知る画家が、それらは彼の内面を表しているのだろうと言っていた。本当に内面なのだろうか?私はあえて鷲田清一が「最後のモード」でル・クレジオを引用していたように「内面などからではなく、肉体の深みから」と言いたい。
私が馴染んでいるのは内面なのだ。肉体こそ常に私の他者だ。ごく身近でいつでも捕まえることができそうで、逃げ去ってしまうもの。見ているようで、決して見えないもの。内面は、いつも把えることの出来る私だ。肉体は、私ではない。肉体は他者だ。その深みから表現も、創作もやってくる。
俊介の描くものは、説明のつく内面などではなく、俊介自身にもどうにもならない肉体の深みから生み出されたフォルムであり線なのだ。