「動物たちは何を喋っているのか?」(集英社) を読みながら、AIとの共生を考える 

「動物たちは何を喋っているのか?」(集英社)は、ゴリラの群れの中で過ごしながら研究をしてきた霊長類学者の山極寿一さんと、シジュウカラになりたくてシジュウカラの言葉を解明した研究者・鈴木俊貴さんの対談本です。

人間は、人間に見える(感じる)世界の中で物事を認知しているけれど、動物もそれぞれの世界の中で、それぞれの仕方で物事を認知しています。ヒトの世界は、それら諸々の世界の一つにしか過ぎません。
シジュウカラやゴリラなど、それぞれから見える世界に、できる限り近づいて過ごしてきた経験をもとに、「人間とはどういう動物なのか」が語り合われています。

AIと共生してゆくうえでの課題を考えるなにかヒントはないかと、この本を読み始めました。

前半は、動物たちがそれぞれの環境を生き抜き、互いに意味を伝え合うためにどのような能力を使っているのかが話題になります。

後半は言葉に焦点をあて、ヒトという動物がコミュニケーション能力を言葉へと進化させてきた過程を、動物たちの能力を参照しながら語り合われます。

最後のパートでは、人間が言葉を使えるようになった結果、文化や社会が進化しすぎ人間の心身がそれに追いつけないでいることへの危惧も語られます。

「動物たちは何を喋っているのか?」とともに、ヒトという動物がAと共生していくための方途を考えていきましょう。

参考 「動物たちは何を喋っているのか?」(集英社)

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AIの言葉と、動物や人間の言葉では、担っているものが違う

人間の言葉の特徴は、物事を 「分ける」 力と、「つなぐ」 力を合わせ持っていることが挙げられます。
これによって、併合や再帰のような高度な認知と表現の能力が生まれました。
このことは、ディープラーニングを使うことによってAIにも十分可能です。むしろ、処理の量と速さでは、人間を圧倒します。

両者を分けるものは、これとは別のところにあります。

動物の鳴き声は、シンボルとしての鳴き声と、感情の表れとしての鳴き声が連続しています。

人間の言葉も、本来は動物のコミュニケーションと同じように、身体と感覚、感情が一体になった文脈に依存して成り立つものなのです。
「人は視覚的コミュニケーションの動物である」という原則に立ち返るならば、むしろ非言語的コミュニケーションの方が主体かもしれません。

「今」、「ここ」での表情としぐさや感情を交えた個別的なやり取りを伴って、初めて言葉が意味を担うことができるのです。
このことは、AIにはできません。

AIは、いかなる指示に対しても、膨大な情報、資料をカテゴリー分けしてくれる辞書、辞典なのです。
(チャッピーの相槌や合いの手や、大喜利の答えもカテゴリー分けの結果としての一表現にしか過ぎません)
AIが担える意味は、「辞書で意味を調べる」という限りの意味でしかないのです。

ヒトを含めた動物たちは、どのようにして意味の交歓をするようになったのか、「動物たちは何を喋っているのか?」のお二人の会話から探っていきましょう。

(この書籍は、対談本なので会話体で書かれています。引用の際、そのまま載せた箇所と、書き言葉に書き換えた箇所とがあります。
また、お二人の対話形式は崩し、平叙文に書き換えて引用しました。
意味を保持しながらの、省略、補足箇所があります。)

動物における意味の伝達

1.動物たちはおしゃべり

シジュウカラは天敵の種類によって鳴き声が違います。ヘビなら「ジャージャー」、タカなら「ヒヒヒ」という風に。
単に警戒の鳴き声を発しているだけじゃないんです。
「ヘビ」や「タカ」を指し示す言葉を持っているんですね。

動物たちは、危険情報だけでなく、食べ物を見つけたときや、お互いを確認し合うためなどにも鳴き声を使います。
チンパンジーは食べ物を見つけると「ウーホッ、ウーホッ」という「フート」と呼ばれる声を出します。ニホンザルは、森の中で「クー」とお互いに鳴き交わし、コンタクトコールを取り合います。

2.動物にできて人にできないこと、それぞれの認知能力

チーターは人より早く走れるというような、動物のほうが肉体的にすぐれている面はよく知られていますが、認知面にも人間にはない能力が見られます。

コウモリは超音波で空間の様子を把握できるし、チンパンジーは、ヒトより優れた短期記憶能力を持っています。
鳥は地磁気を感じ取ることで、自分の位置を特定できることがわかっています。

また、鳥には餌を貯蔵する「貯食」が広く見られます。ホシガラスやコガラだと、木の股などにエサの種子を隠しておくんですが、隠す場所が数千カ所もあるんです。どうも、視覚的に記憶しているらしいんです。

3.言葉は環境への適応から生まれた

動物たちの言葉は、どうして生まれたのか? 環境への適応だと思います。

たとえば、カラスは基本的に開けた、見通しのいい環境に住むので視覚的なディスプレイでコミュニケーションがとれます。
ですが、シジュウカラは鬱蒼とした見通しの悪い森に住む鳥ですから、視覚だけのコミュニケーションでは不十分。だから鳴き声を、言葉を発達させたんじゃないかと思うんです。
しかも、シジュウカラの言葉は、視覚的なイメージを呼び起こすシンボルの働きがあるのです。

カテゴリー化された鳴き声を聞き分けることで状況に応じた行動が取れ、敵から身を守り生き抜いていくことができます。
その様な遺伝子を持った個体が集団内に広がり、意味を持つ鳴き声がシジュウカラの言葉へと進化したのでしょう。
さらに、シジュウカラの言葉には、「ピーッピ・ジジジジ」(警戒してあつまれ)というような決まった語順で意味を伝える文法や、二つの語を一つのユニットとして認識する併合も見られます。

ただし、人間の言葉に見られる、言葉を入れ子状に拡張していく再帰は見られません。人間の言葉に固有なものです。
これも、人間の社会が多重でフレキシブルなことや、道具の使用などの環境への適応から進化したのでしょう。

4.言葉と感情、イメージ、意味

動物の言葉は、「シンボルとしての鳴き声」と「感情としての鳴き声」が分かれておらず、連続しています。同じように、人間の言葉も、複雑な感情を含むことができるんです。いわば音楽的な言葉です。

赤ん坊に向けたインファント・ダイレクテッド・スピーチは、ペットにむけたペット・ダイレクテッド・スピーチと似ていますが、どちらも繰り返しを多用するのが特徴です。
同じリズムでの繰り返しを共有することは、共感を高める行為なんです。
こういう音楽的な言葉が人間の言葉の起源なんじゃないかと推測しています。

言語の発達以前に、動物たちは、他個体と共鳴し、共感するために踊り、歌います。
動物の赤ちゃんは、母親からの言葉にならない暗黙知によって、生きていく技術を学びます。

本来、人間にも言葉にならない暗黙知や、狭義の言葉以外の音楽や歌や踊りなどコミュニケーションの豊かさがありました。

ヒトにおける言葉の発達

ヒトの言葉と他の動物の言葉を隔てる決定的な違いは、眼の前にないものについてどれだけ饒舌に語れるか否かだと思うんです。

我々の使う記号は、インデックス→アイコン→シンボルと発達してきました。

インデックスは痕跡。獲物の足跡とか、天敵のフンといった痕跡のことです。
アイコンは、意味した対象によく似た記号ですね。
シンボルは、対象との関係は完全に恣意的になります。

このシンボルへの進化によって、ヒトは眼の前にないものについて語れるようになったのです。

1.音楽と踊りの同時進行

ヒトは、二足歩行によって複雑なジェスチャーができるようになり、咽喉と歯列の変化によって言葉としての声の発生が可能になりました。

初期の人間の言語は、音声も伴っていたかもしれないけれど、ジェスチャーとして始まったのではないでしょうか。

踊りと音楽的な声は、狭義の言語が生まれる前から存在したコミュニケーション手段です。
その中から、恣意性を持つジェスチャーが生まれ、音声言語の恣意性もその能力が転じたものなのでしょう。

2.意味の発生

そのような音楽的な対話は、はじめは母子間で交わされ、そして大人の間にも共感と一体感の効果をもたらすようになります。

言葉の意味の由来の一つは、そのような個々の社会関係にあると思うんです。

はじめは、ヒトにとっての社会的グルーミングである、一緒に食事をすること、音楽、火を囲むこと、それらの共感の中で言葉が意味を持つようになりました。
本来のマルチモーダルな言葉によるコミュニケーション。知覚や聴覚、触覚といった、複数の感覚によって作られた文脈に依存した言葉です。

その後、環境や社会の複雑さに応じて、言葉も複雑な意味を進化させていったのです。
そして、ヒトの言葉には、物事を細分化する力や表現を節約する力がありますが、最終的にはストーリー化する力をもっています。
また、「いま」「ここ」以外についても語れる能力があるのです。

進化しすぎた言葉

1.置いてきぼりになった心と身体

言葉はたくさんあるコミュニケーション手段の一つに過ぎなかったのです。
ところが、現代社会ではその地位が極端に高くなってしまっています。

我々の心と体は、150人ぐらいの集団を前提にして作られているのですね。
言葉のお陰で集団のサイズは一気に大きくなって国家が生まれ、インターネットもSNSも作られました。
しかし、進化的な時間軸で見ると、その変化は早すぎるんですね。一瞬です。私たちの心身は対応できていません。

心身の進化にはすごく時間がかかりますから、文化の進化が早すぎて、追いついていないんですよね。
社会の進化に心身が置いてきぼりになっているわけです。 

2.バーチャルがリアルを侵す

言葉は意味を作るとか、情報をストーリー化すると言いましたが、その結果どうなったかというと、我々は、世界を在るがままに見ることができなくなったんです。
言葉は単なるツールではなく、我々の意識そのものを規定するからです。

AIに頼ることで、言語の出現によって生じた問題がさらに加速化するようなことがありそうです。
巧妙に現実世界を模倣しているけれど、実は言語化できない感情や身体性を切り捨てている仮想空間やAIが存在感を増すと、我々人間の脳もそっちに引っ張られて、感情や身体性を捨てるんじゃないかと。

3.AIの言葉とヒトの言葉の違い

共感のない時代、言語化されたルールだけを重んじて文脈をおろそかにする時代、、、、。

感情も身体もないAIは徹底的に合理的ですよね。しかしヒトは必ずしも合理的ではない生き物です。感情や身体が合理性を超える場合があるから。

AIは大量のデータを読み込み、未来を予測できますよね。そこがすごいところでもあります。
しかしよく考えると、データは全て過去のものじゃないですか。AIに限らないけれど、未来を精緻に予測しようとすればするほど、過去にとらわれる。それがパラドックスだと思うんです。

ヒトの言葉は、抑揚や文脈によって意味が変わるから、同じ言葉は二度とないんです。AIは世界に再現性があるという仮定に基づいて作られているけれど、決してそうではないんですね。

自然は、同じことを二度と繰り返さないんです。

 

「人間とはどういう動物なのか」という視点を手放さないこと

「動物たちは何を喋っているのか?」は、動物たちが交わし合うしぐさや言葉を知ろうとする中で、翻って「人間とはどういう動物なのか」を問いつづけています。

AIの進化も、人間の脳組織の実際もわからないことだらけで、今後どうなっていくのか全く未知数です。

「人間の言葉は、身体と感覚、感情が一体になった文脈に依存して成り立つもの」
このことは、現時点のAIには、かけらも出来ません。
出来ているように見えるのは、人の側のただの錯覚にしか過ぎません。
しかし、これからのAIとの共生の仕方次第では、将来も全く不可能だとは言い切れないと思っています。

ただ、今後どのように進もうとも、「人間とはどういう動物なのか」という視点を手放すことなく、AIとの共生を模索していこうと思っています。

 

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