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エッセイ

松本竣介という画家

先日、NHKの日曜美術館で「松本竣介」をやっていた。これは今年の夏に一度かかっていて、非常に惹かれたやつだ。松本竣介という画家をその時まで全く知らなかったから、これはを見たときとても気持ちが高鳴ったのを覚えている。その再放送をたまたま目にして再びじっくり見た。

建築のフォルム、黒い窓の描写、その位置、黒い端的で力のある線。俊介をよく知る画家が、それらは彼の内面を表しているのだろうと言っていた。本当に内面なのだろうか?私はあえて鷲田清一が「最後のモード」でル・クレジオを引用していたように「内面などからではなく、肉体の深みから」と言いたい。
私が馴染んでいるのは内面なのだ。肉体こそ常に私の他者だ。ごく身近でいつでも捕まえることができそうで、逃げ去ってしまうもの。見ているようで、決して見えないもの。内面は、いつも把えることの出来る私だ。肉体は、私ではない。肉体は他者だ。その深みから表現も、創作もやってくる。

俊介の描くものは、説明のつく内面などではなく、俊介自身にもどうにもならない肉体の深みから生み出されたフォルムであり線なのだ。

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エッセイ 手作り市

本年最終の手作り市出店を終えて思うこと。

昨日、本年最終出店になる「上賀茂手づくり市」に行ってきた。今年の春から、毎月の定期的な手づくり市に出店するようになった。今までは、年2回の信楽の陶器市。それと地元の今津、マキノ、準地元の敦賀での手作り市には出してきたけど、毎月定期的に続けるのは初めてだ。今では、ほとんど毎週出店している。

こうして続けて出店していると、しんどい時や、厳しい時もあるけど、面白さ、興味、刺激が勝って楽しみになってくる。

陶器とは違う素材からの刺激が新鮮なこと、年代の違う出店者と接触できること、お客さんからの直の反応を感じること、生の意見が聞けること、今何が求められているかを肌で感じられる。人は、今、直接にということをあらゆる面に求めているのではないだろうか。ギャラリ-や陶器店の求めるものにではなく、求めにくるお客さんの求めに応じる、あるいは逆にお客さんを直接挑発する。そんな新たな関係だ。いや本来の関係かもしれない。はじめはそのように始まったはずだ。

そして出店してて思うこと。
出店者も、お客さんも女の人が元気いい事だ。

私は、ひとつの時代はもう終わりつつあるように感じている。
女性が男性社会に進出したり権利を主張したりする構図はもう終わっている。生活面での法や制度の整備はまだまだ必要だろうが、意識面では、これまで男性社会が築いてきたものはとうに崩れている。女性の感じ方、生き方が、古い意識に取って代わろうとしている。それは、主義主張や、原理、イデオロギーによって引っ張られるのではなく、ひとりひとり、直接の関わりの中から生み出されてくるものとして。
直に感じることを素直に生きる。そのために、人と人とどう関わり何をこさえてゆかねばならないか。
そんな小さな動きが、手作り市という出店者やお客さんの直な関わりの中からも生まれてくるように感じるのだけど。

来年も、手作り市出店を続ける中で、多くの新たな刺激を受け、挑発的なものを作ることで世を楽しくしてみたい。

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エッセイ

ストレスについて

今日は、信楽で土を購入するため、昼前に出かける。ここのところ疲れ気味か、いつもより遠く感じる。

REO Speedwagon の “hi infidelity” をかけ続ける。このアルバムの曲は、どれも結構好きだ。ま、演歌と言えなくもないが。腐って様にならない気持ちをとりあえず定着させてくれる。

信楽の駅ショップ「ギャラリー高原」に納品。「かねり」で土を16玉購入。卅云(そううん)で生地用撥水剤を購入。

撥水剤はずっと以前からここのを使う。ストレスなく釉薬をはじいてくれる。道具にしろ、材料にしろこの ”ストレスなく” というのが仕事の流れの中で結構重要だ。ま、気持よくというか、乗って仕事が出来る。ストレスがないというのは、細部に渡るまで、作り手の長年の技や心配りが染み込んでいるということ。もっとも、モノが全てそうあるべきだとは思わないけど。

顔料を買いに材料店によってから信楽をあとにし、草津に向かう。

草津の大型ホームセンターで、屋根から落ちる雪の山からベランダを守るためのシートを購入する。このシートは、手作り市のテントを雨仕様にするとき使うやつ。本来農業用のハウスで使うものだ。いろんなサイズがあり重宝する。透明なのは高価なので、少しは光を透す白いのを使っている。

帰りは琵琶湖大橋を渡り、そのまま湖西道路に乗る。10日ほど前に、近江舞子あたりまでだったのが北小松まで延長した。便利といえば便利だが・・・・。私はよく、あえて旧の161号線を走る。湖西道路はベルトコンベアーの上を走るようで味気ない。旧161号線のほうが気持ちがほぐれる。湖西道路は琵琶湖を見渡せたしかに景色がいい。けど、村が途切れたところから、民家と民家のあいだから見える湖もいいものだ。

便利で、スムーズなことが、必ずしもストレスが少ないという事にはならないようだ。

ところで、今日の湖西道路は味気ないというのとはちょっと違った。雨がぱらつき始めると同時に、風のふきが強くなってきた。ちょうど延長されたあたり、山からの風が K-1Box を横へと揺さぶる。ここは比良おろしで名高いところだ。JR湖西線を止めてしまう。
更に悪いことに、後部に積み込んだ土が前輪を浮かし、ハンドルが横風を受けるたびに取られる。この緊張はストレスなのか、針灸のようないい刺激なのか・・・。

家に着くとすっかり暮れていた。ちょうど市の無線放送で、湖西線が強風で止まっていることを告げていた。

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エッセイ 手作り市

「北山クラフトガーデン」

昨日、ブログ “そわという名のいる” を立ち上げた。この文章のあと、4年近く一行も書いていない。

今日、なぜか書いてみたいと思った。

少し、続けて書いてみようかなとも思う。

今、私は毎月四回、各週末、手作り市に出店している。

京都の、「北山クラフトガーデン」、「上賀茂手づくり市」、「平安楽市」、大津の「オーガニック&つながるマーケットin三井寺」。この4カ所だ。京都の3箇所は、同じ事務所が運営している。三井寺の手作り市は、2つのボランティアスタッフで運営している。

それぞれ特徴があり、違う雰囲気、空気、匂いというものを身体に、気持ちにたっぷり感じながら出店している。

最も小規模なのが、三井寺。「北山クラフトガーデン」もかなりこじんまりとしている。出店数も多く、賑やかなのが「上賀茂手づくり市」だ。「平安楽市」は規模は、「上賀茂手づくり市」に次ぐが、まだ始まって四回目なので、イメージも定まり兼ねているところがある。

「オーガニック&つながるマーケットin三井寺」は、ファミリーで、のんびりと、なんかホワっとしたところがある。

そんな中で、とりわけ私がこだわっているのは、「北山クラフトガーデン」だ。出店数は、多い時で60~70店。お客さんの数も、京都の他の手作り市に比べるとかなり少ない。けれど、この「北山クラフトガーデン」には不思議な魅力を感じる。

安藤忠雄の設計した、コンクリートと、陶板と、水によって構成された空間、「京都府立陶板名画の庭」。そこに手作り作家のブース、テントやパラソルが織り込まれる。小さなカーニバルのようでもあり。傍らで、街頭音楽が木の葉のように舞っている。

そう、多分そこには、いろんなジャンルの可能性が秘められているのだろう。

それぞれの手作り市で、お客さんや出店者との会話、関わりの中でいろんな創作への刺激が与えられるものだ。この「北山クラフトガーデン」はそれとは別に、それとは別様に空間そのものが創作への想いをかきたててくれる。そして、従来の手づくり市とは違った可能性への欲求を予感させてくれる。

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昨日、ブログ “そわという名のいる” を立ち上げた。